熊から王へ 牛から神へ


カイエソバージュⅡ「熊から王へ」中沢新一を読んで

カイエ・ソバージュシリーズは、著者の大学での講義録をまとめたものです。
その第2巻となる「熊から王へ」は、2001年9月から2002年2月までの講義録です。
この巻では、著者はアイヌやイヌイット、インディアンといた民族神話から、いかに国家というものが生まれて来たのか、その過程でどのようにして人類と自然との間で“対称性”が失われて来たのか、を論じています。

この時期はあの「9.11テロ」の直後であり、著者も「緑の資本論」を上程しており、世界を震撼させた事件を受けて今語らなければならないという使命感がひしひしと伝わって来る講義録となっています。

まず序章において著者は「文化」「文明」「野蛮」というキーワードを上げています。

神話が語られた社会では、人間が動物に対して一方的に優位な立場に立ったり、具体的な人間関係を越えた権力のようなものが、人々の上に有無を言わさぬ力をふるったり、ということは起こらないような仕組みが出来上がっていました。
人間の社会の内部には、豊かなものとあまり豊かでないものとの間の階層差が生まれているところもありましたが、そういう社会でも人間と動物の間の対照的関係は、きちんと維持されていました。ところが、国家というものが出来ると、この対照的な関係が崩れてしまうのです。

神話を持つ世界では、人間は「文化」を持ち、動物たちは「自然」状態を生きていると考えられていました。
「文化」のおかげで人間は、欲望を押さえ、節制した行動を行い、社会の合理的な運行を維持する規則を守ったりしながら、動物にはまねのできない抑制のとれた生き方を実現できるのです。こういう「文化」を大切なものと考えていた社会の人間は、当然のことながら、自然や周りの人間たちにたいして、きわめてエレガントな考えやふるまいをおこなっていました。
近代の人々が「野蛮人」だとか「未開人」と呼んでさげすんだ人々は、実は彼らを支配した近代人などよりも遥かに上等で優雅な「人間」だったのです。(p10-11)

著者は「対称性社会では、権力というものはそもそも人間のものではない、と考えられていた」と言います。

ところが、そこに国家なるものが発生すると同時に、このような関係が崩れてしまうのです。
国家を生きている人間は「文化」を持つことを誇ると同時に、ほんらいは動物のものであった「自然の力」の秘密まで、自分の手中に収めてしまおうとしました。「文化」はほんらい「自然」との対照的な関係のもとで、初めて意味を持つものであったのに、それが今や対称性のバランスを失った「文明」に姿を変えてしまいました。
そして、そのとき同時に「文明」と「野蛮」の違いが、意識されるようになったのです。

相手が動物であれ、人間であれ、その相手のことを「野蛮」であると決めつけたり、それに比べて自分たちはなんて「文明的」なんだろうとうっとりしたりする。こういう考えは、世界を構成しているものの間に、容易に崩れたりしない非対称的な関係がある、そしてその非対称関係を維持することは、人類の文明にとって「正義」である、という先入観がないと生まれてきません。(p11-12)

そして宮沢賢治「氷河鼠の毛皮」や様々な神話を題材に、“神話的思考”が語られていきます。

ところで僕の好きな宮沢賢治作品のひとつに「なめとこ山の熊」があります。
神話の世界では、よく熊が登場するそうです。
熊は恐れられている存在であると同時に、何か愛着を持つ存在でもあります。テディベア然り、プーさん然り。
そして神話の中では人と熊の婚姻であったり、決闘がよく語られます。
熊は自然の象徴であり、自然権力を持つ畏怖する存在であると同時に、愛すべき隣人であることが語られているそうです。

ところがスサノオ神話では、クニが造られて行く様子が語られていると言います。
つまり、ヤマタノオロチは自然の奥に隠された力を表しているものであり、ヤマタノオロチを殺すことによってスサノオは自然権力を体現するもの=王となったのです。そして自然との対称性は失われた、というのです。

そして、そこに「野蛮」が生まれるのです。動物たちは少しも野蛮なところはありません。それに、その動物たちとの間に出来るだけ対照的な関係を維持しようとしていた、神話によって哲学する人々も、いささかも野蛮ではありませんでした。
動物を殺すときにも、相手の尊厳を傷つけないように、細心の注意が払われていましたし、自分の必要を超えた数の動物を殺すことも、禁じられていました。

彼らの社会の世俗的な時間のリーダーである首長は、さわやかな弁舌によって、人が守るべき徳のある生き方を説き、決して野蛮に堕ちた行為をしてはならないと、毎朝の訓示で部族の者たちを鼓舞します。
首長は仲間たちを強制することも出来ません。あらゆる決定は、長老たちの会議で決められなければならないからです。裁判などで、恣意的な決定を下すことも許されません。ようするに、その社会には権力などなく、(「自然」の力に由来する)権力などが表面に出現可能なのは、時間と空間を限定された祭儀の場でしかないのです。

(中略)クニが下す命令や決定には、どこか非人間的なところがつきまとっています。自分の理性ではどうしても納得のできない命令や決定でも、クニが下すものならば従わなければならないという、重苦しい感情を消すことも出来ません。
対称性社会では、こうした理不尽はできるだけ発生しないような方策がとられていたものです。彼らは人間の生きる社会は「文化」によって運営されなければならないと確信するアナーキストであったために、「自然」のものは「自然」に返そうとしていました。

ここから、現代の世界にもつながってくる深刻な混乱が発生することになります。それまで、対称性社会では「文化」と「自然」は異質な原理として、できるかぎり分離されていました。
ところが「自然」のものである権力=力能を社会の内部に持ち込んだ王のいる世界では、このような分離は不可能となります。王自身が「文化」と「自然」のハイブリッドなのですし、クニの権力も同じハイブリッドを原理として構成されるからです。
このハイブリッドな構成体にあたえられた名前こそ、「文明」にほかなりません。

野蛮はここから発生します。
王のような存在を許した瞬間から、人間は力の秘密を「自然」から奪い取った気になって、それまで大切に保って来た敬虔の心持ちを失い、動物も植物も人間にとって役に立つだけの対象であるように見えて来るでしょう。

すると、「自然」は開発をしたり、研究をしたり、保護したりする対象になってきます。動物や植物の家畜化がここから可能になります。もはや熊でさえ、偉大なるカムイ(カミ)ではなく、威厳を失った動物学上の一対象として、小児化されてしまうのです(まるで映画「もののけ姫」のオッコトヌシのように;yasoichi)。かつては動物の特質であるとされた、貪欲や吝嗇や嫉妬深さなどは、今や人間のものとなっています。
「文化」がそうした動物的特質が、人間のうちに現れてくるのを抑えていたのに、ハイブリッド化したこの世界では、むしろ人間の独占物のようになってしまいます。

(中略)今日グローバル化する世界を主導している巨大国家は、「文明」と敵対する「野蛮」との戦いを、世界中に呼びかけています。
王とクニの発生の内的メカニズムを探求して来た私たちは、このような呼びかけの言葉が無意味であることを、はっきりと理解することができます。
野蛮を生んだのは、文明なのです。
国家が野蛮を撲滅することは、不可能です。それは、野蛮の発生を土台にして、国家はつくられているからです。(p199-202)

結論だけ引用させていただきましたが、概要はご理解いただけたでしょうか。
詳しく知りたい方は、ぜひお読みになられることをお勧めします。

国家の存在を私たちは当たり前のように受け止めていますが、果たして「クニ」は私たちを幸せにしてくれるのでしょうか。

このことは、昔から僕の中で消えることのない素朴な疑問でした。
グローバリゼーションが決して私たちを幸せにしてくれるわけではないことは、段々と明らかになってきています。
100円ショップや外資系の郊外型ショッピングモールの登場は、ものつくり日本の構造を今まさに破壊しようとしています。
安いから、という理由で買い物をすることは普通のことですが、今、そのことによって日本の産業構造が崩れて来ています。私たちの普段の何気ない行動が、廻り廻って自分たちのクビを絞めることになりかねないのです。
また、外国から来た自動車会社の社長は、この不景気にあって8.9億円という年収にも「グローバル基準からすれば控えめだ」といい、それはまさしく日本の技術力から彼個人へともたらされているものです。

結局、グローバリゼーションとは富の不均衡を促進させるだけのものでしかありません。
それがこれからの新しい世界のパラダイムだという、そのうそっぱちに、薄々私たちは気づき始めています。
一時的にはこれまで後進国と言われていた国々(バングラデッシュなど)に恩恵があるかもしれませんが、いずれは日本と同じ道筋が待っているのです。

では、その輪から逃れる術はないのでしょうか。

まずは現在の通貨制度から離脱すること。(地域通貨の導入)
化石燃料のみに頼る生活から脱却すること。(電力始めエネルギーの生産および流通の自由化)
クニの成り立ちを見直し、小さなコミュニティの有機的なつながりを構築して行くこと。(財源も含めた地方分権)

これらのことができれば、海の向こうの金融危機に怯えたり、海外の限られた資源を奪い合うこともなくなるのではないでしょうか。
それはまさしく、神話的世界を現代に甦らせることです。
しかし、一度手に入れた“草薙の剣”はなかなか手離せるものではありません。
何もテクノロジーを否定する必要はなく、化石燃料ではない自然との対称性を維持できるエネルギーの開発、食料だけでなくあらゆるものを地産地消にしていくことができればいい。

そのうえで、自然との対称性を回復させることができないでしょうか。

現在、僕の住む宮崎では家畜の「口蹄疫」が大流行し、大変なことになっています。
友人の県庁職員も、泊まり込みで連日作業に駆り出されています。
農業だけでなく、観光業界にも多大な影響を及ぼし、イベントやツアーが軒並みキャンセルになっています。(当然、僕の家業にも影響があります)

このことは、何を示唆しているのでしょうか。

前述の通り、著者は現代社会は「野蛮」を内部に組み込んでいると言います。

人間と動物との間に、なんとかして対照的な関係を作り出さそうとしていた人々にとって、自分たちが生きるために殺した動物の体を、そんな風に粗末に扱ったりすることは、とても考えられないことでした。
アメリカ・インディアンたちは鮭を捕り、肉や内蔵をきれいに食べた後、残った骨や皮の部分を実に丁寧に取り扱いました。ゴミ捨て場のようなところに、粗末に捨てたりすることなく、なるべく骨を折らないようにして、丁重に川に流したのです。
(中略)肉骨粉の飼料を牛たちに食べさせるのは、一種の「共食い」を彼らに強いていることになりますが、それほど恐ろしい「野蛮」な行為はないと、この人々は考えました。そういう「野蛮」があらわれてくるのを食い止めるのが、「文化」の働きだったのです。

ところが、私たちの世界は、彼らが「野蛮」と見なした行為を、自分たちの生活を支えている一番大切な部分にセットしているのです。
しかも狩猟民たちが想像もしなかったような巨大な規模で、そのシステムを日夜運行し続けています。
私たちの「文化」的な生活は、そういう「野蛮」の行為の基礎の上に成り立っています。
そう考えてみますと、現代社会というものが実は不思議な成り立ちをしているのが、分かってきます。この社会は「野蛮」を自分の内部に組み込んだ、一種のハイブリッド・システムとして、機能しているために、様々なタイプの「野蛮」を除去できないばかりではなく、ひとたび危機的な状況がおこると、その責任を外の世界の、自分たちがよく理解できない相手に投げつけて、その相手のことを「野蛮」呼ばわりするのです。

その意味では、2001年9月11日のニューヨークでおこった出来事と、狂牛病や口蹄疫に罹患した動物たちを襲っている悲劇的な状況とは、深いところでひとつながりなのではないでしょうか。
どちらも、「野蛮」を自分の内部に抱え込んでつくられている現代世界の病症を、これ以上ないほどの明瞭さであらわしています。
このような状況からの脱出の糸口を探って行くためには、私たちの世界の内部にどのような道筋で「野蛮」がセットされるようになったのかが、深いレベルで理解されなければなりません。
神話について考えることは、たんなる学問的な興味や趣味の問題を越えて、実に今日的な意味を持っていると、私は考えるのです。(p15-16)

今回の「口蹄疫事件」で生活の基盤を根底から失ってしまった農家の方々には、心から同情いたします。
一日も早く、行政や民間の善意による経済的支援によって立ち直られることを願います。

一方で、今の私たちの生活、特に食生活を考え直すたぐいまれなチャンスである、とも考えられないでしょうか。

「飢餓の世紀/レスター・ブラウン」を持ち出すまでもなく、中国やインドの目覚ましい経済発展において将来的に人口の(これまで以上の)爆発的増加が予想され、私たち先進国でも現実の食料危機が目の前にあると言えます。
加えて、数年前に“ピークオイル”を迎えたといわれ、メキシコ湾や紅海で大規模な流出事故が起きている原油も、今後さらに高騰を続けるでしょう。
そうなれば、食糧の輸入自体が困難なものとなります。

そのような時期に、もう一度私たちの食生活、主に肉食について改めて考えることは大事なことではないでしょうか。

そして今の日本人に必要なことは、神話世界に脈々と息づいていた「自然との対称性の精神」を取り戻すことのように思えるのです。
鉱物資源に恵まれているとは言えませんが、世界でも例を見ない恵まれた自然環境を有する日本。
それゆえに、特にデリケートな国土でもあります。
この島の中で、私たちが身の丈に合った暮らしを模索して行くことが、今問われているような気がします。

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