呪いの話

古今東西、呪いの話は尽きることがありません。
丑三つ時には、裏の神社から何やらコーンコーンと打ち付ける音がする・・・かもしれません。聞いたことないけど。
人の業とは恐ろしいものです。

観光地として有名なバリ島では、ホワイトマジシャンとブラックマジシャンとの壮絶な戦いが夜な夜な繰り広げられている、とも言います。
中沢新一著『虹の理論』の中に収められている「ファルマコスの島Ⅰ、Ⅱ」には、「ブタ」と呼ばれるエネルギーと4人の守護霊を使っての、呪術合戦の様子があたかも目の前で行われているかのように描かれています。
(余談ですが、アマゾンでのレビューでは著者の他の本は軒並み概ね好評なのに、この本だけは例外です。理論ではなく小説だ、とも。個人的には意外です。チベット仏教の秘儀を自身の経験も踏まえて日本語にしてきた著者の功績は多大なものであり、この本も明らかにその流れに位置するものだからです)

人の強い思念が現象化するならば、「藁人形」や「お百度参り」も迷信でもなんでもなく、効果はあるのでしょう。
それはセレブ?の間で流行の「引き寄せの法則」も然り。
自分自身の潜在意識にデータを植えつけることによって、「無意識に」行動するようになり、またそれは有象無象にも影響していく。
それは普段から心の働きを注意深く観察している人にとっては、さほど不思議なことではないはずです。

恨めしい誰かだけが対象ではありません。私たちは、しばしば自分自身にさえ、呪いをかけてしまいます。
それは「トラウマ」であったり「コンプレックス」とも呼ばれます。
それらが私たち自身を縛りつけ、本来自由であるべき存在を縛ってしまいます。

現代人にとっての「呪い」とは何でしょうか。
もちろん、個人的な「呪い」はいろいろとあるでしょう。しかしここで取り上げたいのは、誰の身の上にも「ある」呪いのことです。
それは「お金の呪い」です。

ほぼ毎日の様に、「GDPの成長率」がニュースの話題になります。
首相や他の政治家の話も、経済成長が第一にあります。
この「飽食で」「歴史的にも経済的に例外な」贅沢な生活をほぼ国民全員が享受できる日本にあって、なぜに今以上の経済成長が謳われなければならないのでしょうか。
皆さんは、不思議には思われませんか?
「失われた20年」と言われ、昭和のバブル以降デフレ不況が言われ続けていますが、食料不足で暴動が起きたことがあったでしょうか?ガソリンが手には入らず、10キロも20キロも歩いて買い出しに行かなくてはならない事態が、日本の何処かで起こったでしょうか?
別になんにも変わっていないんですよ、実は。
変わったのは、貨幣経済(つまりお金の流れですね)であって、実体経済(物流のことです)自体は実に健全なわけです。

もちろん、震災や火山災害等の自然災害は別の話ですが。
しかし原発事故は、別の話ではありません。原発問題は、経済問題そのものです。原発の呪いは、お金の呪いなのです。

どうしていつの間にか、私たちは「きれいな水」や「きれいな空気」、「安心安全な食料」といった生存に本当に必要なものよりも、お金のことを気にするようになってしまうのでしょうか。
それらを犠牲にしても、お金を求めようとしてしまうのでしょうか。

私たちは労働の対価として、お金を得て、それで生活を営んでいます。
ですから、生活のためにお金が必要、という話は間違いではありません。
しかしここでよく考えてみましょう。
私たちはその得たお金を何に使っているのでしょうか。それは必ずしも「生きていくために必要なこと」ばかりではありません。
むしろ、過剰な消費活動によって現代の資本主義社会は成り立っていますから、私たちはもはや「生きていくために」お金を得ているのでも働いているのでもありません。
それは「お金を使うために」働いていると言っても過言ではありません。いや、それこそが現実なのです。

私たちは、どうやら気づかないうちに「お金の呪い」にかかってしまっているようです。

簡単な例を挙げてみましょう。
2兆円規模にまで成長したと言われる、健康食品市場。
サプリメントなどの食品だけではありません。エステやジム、書籍などの「健康市場」は莫大な規模となっています。

「不健康(例えば肥満)」になるために当然お金を使っているわけで、それは言わば「余分なお金がぜい肉に変換された」わけです。
そして「健康になるために=余分なお金で不健康になったツケを払うために」さらにお金を使っています。
私たちは「無駄なお金を使うために働いている」のです。決して、健康的で幸せな生活を送るためにお金を使っているわけではないのですよ。

また、ディズニーランドの入場料は1日6400円です。ディズニーランドの1日の売り上げは、7億とも10億円とも言われています。
ディズニーランドが売っているものはなんでしょうか?それは「現実逃避」です。ディズニーランドは、本当の意味でのファンタジーや神話とは全く質の異なるものです。それらとは似て異なるもの、です。

「デフレ不況をどうにかしなければならない。そのためには経済成長が必要だ」と誰もが思っているにも関わらず、私たちは現実逃避のために一日10億円を使っているのです。
例えばアフリカや中東の人たちを目に前にしたとして、「もっともっと経済成長しなければ、困るんです」と僕はとても口に出来ません。今の日本で、きちんと経済が動いていれば、「必要とされているものが、必要としている人の元へ届けられ」てさえいれば、贅沢さえしなければ飢え死にはしません。

現実逃避が悪い、と言っているのではないのです。
お金の呪いを解くことによって、少なくとも自分を不幸に陥れる暴飲暴食や現実逃避をしなければやっていけないようなストレスを軽減できる、と言いたいのです。

では、その呪いを解くためには、どうしたらいいのでしょうか。
それは呪いの正体を知ること、です。

「お金の正体」はズバリ、「借金」です。
お金は、生まれた時から「政策金利」という利子がついて世に放たれます。社会は、その利子の分、お金を増やして返すことを義務付けられます。
しかし、それは永遠に叶えられることはありません。なぜなら、初めからお金は「足りない」のですから。
多くの国家では、中央銀行システムが取られています。中央銀行だけが、法定通貨の発行権を持っています。政策金利を決めるのも、中央銀行です。
ですから、原則的に中央銀行が発行した貨幣以上のものは存在しない、はずです。仮に100枚の1万円札が発行され、政策金利が5%だとすると、社会は105万円、つまり105枚の1万円札を返納しなければなりませんが、そんな事は不可能です。100枚しかないんですから。
しかし、中央銀行から一般銀行に貸し出された貨幣は、信用創造によって実際のお金以上の「マネー」が創り出されます。また、金融市場ではマネーがさらに巨大になっていきます。
そのことによって、何となく上手く廻っているように見える、だけなのです。

資本主義と株式会社もまた、借金によって突き動かされているシステムです。
株式会社とは、「投資家の配当のために存在する」組織のことです。それ以上でもそれ以下でもありません。社員の福利厚生も、投資家の配当のためにあるのです。言い換えれば、投資家からの借金を増やして返すためにあるのです。
また資本主義とはこのように説明されています。

社会に貨幣を投下し、投下された貨幣が社会を運動してより大きな貨幣となって回収される場合、この貨幣が「資本」とよばれる(wikipedia)

如何でしょうか。僕が言っていることは矛盾していないことがお分かりになると思います。
「大きな貨幣となって回収される場合」という点が、ミソです。
私が借金を返せる、ということはあなたは返せない、ということでもあります。逆もまた然り。

こういった仕組みをきちんと理解していれば、必要以上にお金に執着することもなくなります。
「資本主義」は、お金を増やすために、借金を返すために私たちの欲望を無限に刺激し続けているのです。
そして私たちは、自分自身の際限ない欲望によって自縛されているのです。
その結果が、犯罪の凶悪化であり、テロの頻発であり、戦争の足音であり、家庭崩壊、学級崩壊であり、いつ終わるとも知れない原発事故の不安であり、少子高齢化社会に対する不安であり、地球環境の劇的変化なのです。

私たちは、いま一度お金を使うことは手段であって目的ではない、ということを思い出すべきなのです。

呪いは、他人にはもちろんのこと、自分自身にも知らぬ間に掛けないように気をつけましょう。

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