「東京プリズン」赤坂真理

内容紹介

16歳のマリが挑む現代の「東京裁判」とは? 少女の目から『戦後』に迫り、読書界の話題を独占。 “文学史的事件”と呼ばれた名作

内容(「BOOK」データベースより)

日本の学校になじめずアメリカの高校に留学したマリ。だが今度は文化の違いに悩まされ、落ちこぼれる。そんなマリに、進級をかけたディベートが課される。それは日本人を代表して「天皇の戦争責任」について弁明するというものだった。16歳の少女がたった一人で挑んだ現代の「東京裁判」を描き、今なお続く日本の「戦後」に迫る、毎日出版文化賞、司馬遼太郎賞、紫式部文学賞受賞作!

 

現代日本人は、二つの大きな呪いに掛けられています。
一つは、「増えるお金の呪い」。
もうひとつは、「敗戦の呪い」です。

アメリカに一人、送られた16歳の少女「マリ」を取り巻く、現実と幻想が入り混じった世界。
ところで村上春樹さんのインタビューや対談集はとても好きでよく読むのですが、いざ肝心の小説となると、いまひとつ入り込めません。なぜだか、未だに分かりませんが。
そんな村上作品に、イメージ的に近い印象を持ちました。

どこまで現実で妄想なのか、途中で分からなくなるような複雑な構成を持つ小説です。
アマゾンのレビューを見ても、賛否両論あるようですが、読み終えてしばらくしてみると、作者の「呪いの解き方」がおぼろげながらに見えてくるようです。

自分の意志に反して単独アメリカのホストファミリー宅で生活することになった少女が、学校で思いがけず「天皇の戦争責任」ついてのディベートをする羽目になります。
これまで曖昧にしか意識してこなかった「天皇の戦争責任」。
果たして、彼女は私たちの代わりに、現在や過去、果てはベトナムまで心を飛ばして、私たちに掛けられている「呪いの秘密」を探っていきます。

乱暴にその呪いの正体を言えば、「欧米的暴力主義への娼婦的屈辱感」と言えるようです。

ハワイ観光局のホームページの、オアフ島を紹介するページでは、パールハーバー記念館が紹介されています。
今でも、アメリカでは「リメンバー・パールハーバー」は生きているのです。
では、真珠湾攻撃は本当に奇襲だったのか。
これは米側の公文書でも明らかにされていますが、歴史的には「手違い」によって通達が遅れた、ことになっています。
東京裁判においても、

なお、「宣戦布告遅延」問題と「敵対行為の開始に関するハーグ第三条約」との関連について、極東軍事裁判における本判決は次のように述べている。 「この条約は、敵対行為を開始する前に、明確な事前の通告を与える義務を追わせていることは疑いもないが、この通告を与えてから敵対行為を開始する間に、どれだけの時間の余裕を置かなければならないかを明確にしていない」「一切の事が順調にいったならば、真珠湾の軍隊に警告するために、ワシントンに二十分の余裕を与えただろう。しかし、攻撃が奇襲になることを確実にしたいと切望する余り、彼等は思いがけない事故に備えて余裕を置くということを全然しなかった」とした上で、日本大使館の不手際による遅延を認定し、「奇襲という目的のために、時間の余裕をこのように少なくすれば、通告の伝達を遅らせる間違いや手違いや怠慢に対して余裕をおいて置くことができなくなる。そうして、この条約の義務的であるとしている事前の通告は、実際には与えられない事になるという可能性が大きい」と条約の構造上の欠陥を注意喚起している[72]。wikipedia

とされています。

また、「東京大空襲」は綿密に計画された、ホロコーストでした。広島、長崎は今更説明の必要もないでしょう。(驚くことに、アメリカの学校ではほとんど広島、長崎のことは教えられていません)
よく「自虐史観」として取り上げられるのが、「南京大虐殺」「従軍慰安婦」「真珠湾攻撃」ですが、個人的にこれら全てを否定できません。
しかし、歴史とは常に「後に人によって創られるもの」であり、そこにプロパガンダ等の意図が介入してはいるでしょう。が、戦争においてその前線の「狂気状態」にあって個人あるいは集団が正気を逸脱した行為をしたであろうことは想像に難くありません。
そのことは無視してはいけないことです。
その根本的な原因は戦争にこそあります。
しかし、「意図的に綿密に計画されたホロコースト」はナチスドイツによるユダヤ人虐殺と同様、疑いもなく「戦争犯罪」であるはずです。

確かに、日本は戦争に負けました。そして極東東京裁判が開かれ、多くの「戦犯」が裁かれ、あるものは絞首刑となり、多くの人がそのトラウマから解放されず、無意識のうちに後の世代である私たちの「呪い」となって今なお苦しめています。

それはそれとしてきちんと受け入れ、しかし相手の罪を同時に受け入れることはなかったのです。
日本は負け方を誤ったのでしょう。
そして、「娼婦のごとく」アメリカを受け入れたのです。

“お前の国の最高指導者だった天皇は、男ではない”
すべてはこの言葉から始まった気がする。私のこの混乱、そして屈辱。
男でなければ女なのだろうか。
この疑問に、答えられないまま私は感じていた。図星を指されたみたいに。なるほど私の国の人たちは、戦争が終わって、女のように振舞ったのではないかと。

恥じながら、かつての敵をもてなした。決して武士のようにではなく、男を迎える女のようにサービスした。それを、戦争を知らない私たちでも、どことなく感じ取っている。戦争に負けたのは、いい。しかたない。だけれど、自分を負かした強い者を気持ちよくして利益を引き出したら、それは娼婦だ。続く世代は混乱する。誇りがなくなってしまう。男もそうした。男が、そうした。だけれど、他にどうすればよかったかと問われたら、わからない。

 植民地の甘い汁を吸った現地人。なぜか日本には戦後、そんな人ばかりができた気がする。なぜなのか、本当にうまく言えない。(本文より)

過去の自らの過ちは過ちと素直に認め、その上でなぜ「連合国」の犯罪を問えないのか。
問えないにしても、なぜそれを踏襲しない道を選べないのか。
無責任が社会に蔓延しているかに見える日本の姿の根底に、戦後を卒業できないことも深く関係しているようです。
(日本人の深層心理に「母性」が深く関係しているらしい、ことは河合隼雄さんの著書等で指摘されている点です。それがどうも個人より集団を重視し、ゆえに個人だけでなく社会の責任の所在を曖昧にしがちである、らしい)

さて、前半はそのイメージの世界に入りこむのになかなか苦労しましたが、後半、核心部分の東京裁判の“やり直し”ディベートの場面からは、一気に読了してしまいました。
そこまでくると、それまでの不思議な心象風景もすべては舞台背景を整える役目をしていたのだな、と気づきます。
太平洋戦争もベトナム戦争も、切り離された歴史ではなく、繋がっている。共通して、その根底に流れている思想がある。
一見複雑に見える物語の構成も、納得が行きます。

その思想とは何か。
その呪いを解くにはどうすればいいのか。

今の日本では、少なくない人たちが隣国へのヘイトスピーチを繰り返していますが、アメリカと比べて、果たしてどちらが歴史的に深い結びつきがあるのでしょうか?
日本が真に向き合うべき相手は誰なのか。手を取り合わなければいけない相手は誰なのか。
もう一度、考え直さなくてはならないのではないでしょうか。

黒船以来、日本が翻弄され続けている、欧米(というよりアメリカ的)の論理を正確に理解する必要があるでしょう。
それはキリスト教と資本主義を同時に理解するということです。
どちらも「増殖すること」を内に孕んでいます。
キリスト教では「聖霊」が、資本主義では「資本」がそうです。
そして、それは私たちの欲望が増殖されることと同義なのです。
本来、仏教やイスラム教と同じくキリスト教も「人間の欲望といかに付き合っていくか」という命題の上に成り立っているはずなのに、いつの間にかそれを肯定し、だけでなく「増やせ」というようになってしまっているのです。

その増殖の原理によって、16世紀以降の大航海時代、植民地政策があったのです。
現在、ISによる残虐行為が日々ニュースで流されてきていますが、かつてはヨーロッパ各国がアフリカ、南米、アジアで同様の行為を行ってきたのです。

その暴力的とも言える増殖の力に、対抗しようとしたのが明治以降の日本でした。
しかし、それは「欧米と同じ土俵に立つ」という選択でした。
やむを得なかった、のかもしれません。が、間違いであったこともまた、歴史が示すところです(と私は判断します)。

今後の世界を担っていくためには、自分たちの明るい未来を創っていくためには、二つの大きな呪い「増えるお金」「敗戦」から私たちが解放されることが絶対条件なのです。

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