藻谷浩介講演会 里山資本主義の視点〜「えびの市」の現状と課題を鋭く分析〜

5日、えびの市文化センターで開催された藻谷浩介さんの講演会に出かけて来ました。

藻谷さんは、今年の正月にNHKで竹中平蔵さんらと討論されていました。
勝間和代さん曰く、「木ばかり見て森を観ていない」と「朝まで生テレビ」で藻谷さんのことを言われたそうですが、言うまでもなく森は木が腐ってしまえば成立しません。

今回は、その膨大なデータ分析を駆使して、宮崎の「西の端」えびの市の地域活性化についての講演でした。

講演に先立ち、藻谷さんが言われた言葉で一番印象的だったのは、「これから話すことは、私の意見でありません」。
「デフレの正体」を読めばお分かりになると思いますが、そこに示された内容は政府発表の資料を分析した結果であり、単に現状こうなっている、ということだけです。
端的に言えば、人口動態を観れば、今後数10年を掛けて日本の人口は減るだろうし、現在のデフレ状況も、生産人口消費人口が減っている結果である、ということです。つまり供給過多である、ということです。

「地域活性化に必要なことは何か?」
景気がよくなることでしょうか?
生活が便利になることでしょうか?
交通の便がよくなることでしょうか?

人口が減るイコール消費人口が減ることによって景気が落ち込んでいる訳だから、まずは人口を減らさないこと。
自然減はしょうがないとして、子供を増やすことと、若者が他所へ流出しないこと

聞いてみれば、当たり前のことです。
厚生労働省 都道府県別にみた合計特殊出生率の年次推移
これを観ると、平成21年度で全国平均は1.37、宮崎県は1.61(全国2位)です。
ちにみに東京1.12(全国最低)、沖縄1.79(全国最高)。

これは何を意味しているのでしょうか?

まず分かるのは、「大人2人に対して、1.37人の子供が生まれている」ということです。
つまり、減っているということは明らかです。

総務省統計局 人口推計(平成23年10月1日現在) ‐全国:年齢(各歳),男女別人口 ・ 都道府県:年齢(5歳階級),男女別人口‐

どうしてこうなるのでしょうか?
子供を産むことに対するブレーキとは?

藻谷さんが挙げられた例では、長野県下條村がありました。
この記事に拠れば、下條村の成功は「実際には奇跡でも何でもない。当たり前のことを当たり前にやった結果」ということです。
具体的には、

このムダ削減には強いリーダーシップが必要だった。1991年にいまの伊藤喜平村長が当選して徹底的な行政改革を断行した。その経緯はあとの伊藤村長インタビューをじっくりお読みいただきたいので、ここでは主な政策を箇条書きにまとめる。
●役所の職員の数を60人から34人に減らす
●退職などで必要な欠員ができた場合は民間から人材を採用
●村を走る幹線道路以外の道路は住民が自分たちで道路を作る(資材支給事業)
●国や県が推進する下水道整備をやめた(合併処理浄化槽に)
●平成の大合併に乗らず小さくても独立の道を選択  

以下は子育て支援策だ。
●国の補助金を断って独自で作った村営住宅
●村営保育園の整備
●教育長の欠員(「特殊出生率2.04の下條村が教えるいじめ対策」)
●子供議会の設立  
民間企業の社長だった伊藤さんが村長になって最も驚いたのが、村役場職員のコスト意識がが低すぎるということだった。ムダな仕事も多い。

手が足りないほど職員の数を減らすと、ムダな仕事を生む余裕が全くなくなる。自然と必要不可欠な仕事を最優先するからだ。そして、仕事に優先度をつける過程でムダも見えてくる。

一方、トップがいくらムダをなくせと言い続けても職員にムダを削る意識が根づいていないと、トップが替わればまた昔に戻ろうという力学が働く。トヨタ生産方式を学ぶ企業は世界中に多いが、最初は効果を発揮してもいつの間にかやめてしまうのはこのためだ。

つまり、育児支援を徹底的に実施し、そのための財源確保を役場組織の無駄の排除によって創出し、それに伴い村民の自助努力を促した、ということです。
その結果、若者が安心して子育てが出来、流出もしない、という訳です。

簡単なことです。
実際には既得権益者による理解と賛同があれば、となるでしょうから、首長の強力なリーダーシップも必要でしょう。
この「簡単なこと」を各地でやればよい。

要は、将来に対する不安があるから、「子育てにはお金がかかる。しかしそれだけの収入が望めない」と国民全体が感じているから、出生率の低下に結びついているに他なりません。
その不安を取り除く一つの手段として、行政による子育て支援の充実があるわけです。

もうひとつ、藻谷さんが若者流出の原因として挙げられたのが「地元に誇りを持てないから」ということでした。

例えば「えびの」は昔から交通の要所であり、鹿児島本線や日豊本線より先に肥薩線が敷かれており、博多から鹿児島、宮崎へは必ずえびのを通った、ということでした。
また、市内を流れる川内川は、上流に関わらず水量は豊富であり山間部にあって平地が多く、水田も多い。昔から美味しいお米の産地であることは宮崎県内では有名です。
また、県内でも優秀な畜産地でもあります。
そしてなんといって、日本最初の国立公園である霧島連山、えびの高原があります。

今流行の、エコツーリズム、グリーンツーリズムの最大の売り物がえびのには豊富にあるのです。
しかし、現地に住んでいる人たちはその商品価値に気づいていない。
せっかく、優良な原材料を生産しているに関わらず、それを地域外に売り、それを加工した者たちがその価値を何十倍にして儲けている。
ならば、なぜ自分たちで加工して売らないのか?
同じく交通の要所である佐賀県の鳥栖では,その地の利を活かして人口は増加にある。なぜ「えびの」ではしてこなかったのか?
「ただの田んぼ」を観るために、外国人を東京から5時間も掛かる場所に呼び込んで、成功している長野県のある地方都市もある。えびのには、田んぼどころかたくさん見所があるのに、なぜしないのか?

ところで藻谷さん、実は学生時代に山口の実家から初めて自転車旅行に出かけた先が「えびの」だったそうです。
加久藤峠のトンネルで九死に一生の体験をし、えびの高原の今は無き営林署の宿舎に泊まられたそうです。
そこでドイツからの旅行者からある話を聞いたそうです。
なんと、ドイツの旅行書にこの宿舎が紹介されており、ドイツ人が九州に来たら必ず泊まるところ、として有名だということでした。
どうしてこんな田舎の宿が、ドイツの旅行書に?
どうやら、昔そこに旅したドイツ人が、その宿舎の管理人のご夫婦の接待に感銘を受け、実はそのドイツ人が旅行書の編集者だった、らしいのです。
藻谷さん曰く、「私が初めてツーリズムを意識した瞬間でした」。
肝心なのは、「ひと」なんですね。

昨日は僕もいつものごとく綾から自転車で出掛けたのですものですから、何やら運命的なものを(少々大げさですが)感じたものです。

藻谷さんは直接に言われませんでしたが、「若者が地元に誇りを持てない」理由は、「お金が稼げない」からです。
しかし、ちょっと発想を変えれば「地元でもお金は稼げる」わけです。
僕が推進している「綾旅」も全く同じ考えに基づくものです。
藻谷さんも言われていましたが、一番やってはいけないこと、それは「ボランティアガイド」です。
このようなツーリズムは民間でやるべきであり、そこに行政が支援ではなく事業主として入ってくるということは、雇用の場を壊していることに他なりません。

綾町役場も、よくよく考慮して頂きたい。

どうやって田舎で稼いで行くか、という事例を交えながら藻谷さんがいろいろとご紹介くださいました。

しかし、このブログで皆さんに問うている「増えるお金の問題」はどうなっているのでしょう?

おそらく、藻谷さんもこの問題にはお気づきになっているはずです。
想像するに、お金の話をしても「お金を増やすこと、集めること」に執着している、捉われている人たちに話しても理解できないだろう。
それよりもまずは、「どうやって自分たちのお金が流れているのか」を理解することの方が早い。現実的だ、と考えられているのではないでしょうか。

ここで僕はお話ししているお金の話は、確かに藻谷さんが言われていることの後に、来ることです。
しかし、それらは同時に考えて行かなければいけません。
現に、藻谷さんは「こうやれば田舎でも十分稼げます」という話と同時に、「田舎に暮らしていれば、そして健全な隣人との関係を築き上げていれば、きれいな水、空気、安心安全な食料、エネルギーが得られ、十分幸せな暮らしが送れるはずだ」ともおっしゃっています。
それらこそが、「田舎の宝であり、そこに住む者の誇り」であるからに他なりません。

2月にも「えびの」に来られるそうですので、その辺り、機会があれば直接お聞きしたいと思っています。
最後に。

「当たり前」ではなく、「有り難い」が口癖の地域だけが残る。ー藻谷浩介

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